古川安『科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで』序章

 

科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで

科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで

 

【古川安著『科学の社会史ールネサンスから20世紀まで』(南窓社、2001年4月)p9ーp18】  

 19世紀中頃、欧米列強の植民地化の脅威にさらされていた日本は鎖国を解いて開国した。開国後、殖産興業・富国強兵のスローガンのもと、国策として西欧の科学と技術を制度ごと導入した。こうした近代化は、日本を大きく変貌させることとなる。
 
 日本が開国をするきっかけとなったペリー来航のあった19世紀半ばのヨーロッパは、産業革命が進行し、技術の飛躍的な発展を遂げていた。その当時のヨーロッパにおける近代的技術の産出は、科学によるものではなく、職人や技術者たちの経験や創意工夫、試行錯誤、実験の賜物であった。科学を基礎として成り立つ技術である「科学的技術」が登場するのは、それよりしばらく後である。しかしながら、近代技術の発展の原動力はひとえに科学の進歩によるものであるというパブリック・イメージは、この19世紀半ばの欧米においてすでにできあがっていた。
 
 同様に、文明開化の日本が見た西洋科学とは、純粋な自然の探求というよりも、実用的技術の開発に近かった。日本において「science」の訳語が「科学」であると普及し定着するより前は「理学」という言葉があった。この理学は明治期において、自然の探求だけでなく技術あるいは工学をも包含した学問であると理解されていたこともまた、実用的技術の開発のための西洋科学という理解がなされた一因であるといえる。明治の約半世紀にわたる西洋科学の受容の過程で生まれた日本人の科学観は、技術と強く結びつき、技術を媒体として社会を変える大きな力となりうる科学という「結果としての西洋科学」の性格を色濃く反映している。
 
 そもそも、西欧文明が入ってくる前の日本において「科学」という言葉は存在していなかった。scienceの訳語として科学という言葉をつかった最初期の人物に、哲学者の西周がいる。彼は、流入当時の西洋科学が様々な分野に専門的に分化していた様から、様々な「科」からなる「学」問という意味をもつ「科学」をその訳語にあてた。なお、今日中国や南北朝鮮でもscienceに対して同じ漢字を使うが、これは日本からの輸出語である。また、もし哲学・思想・宗教を包含した、境界を持たない未分化で幅広い知的営みであった17世紀頃の西洋科学が流入していたなら、違う訳語があてられていただろうと推測される。
 
 自然に関する知識の体系とそれをつくり出す営みを広く科学と呼んだとき、それは古代から近代に至るまで、ギリシア・インド・アラビア・中国・日本など、洋の東西にかかわらず存在していた。今日われわれが科学といえば、ヨーロッパで生まれた近代科学をさす。これは16世紀から17世紀の西欧近代の幕開けに成立した科学の総称であり、現代においてはあえて「ヨーロッパ」科学と断り書きをつけるまでもないほど国際化している。
 
 近代科学は、その誕生から今日に至るまでの約4世紀の間に大きな成長をとげた。16世紀末から17世紀初めには、科学という営みはまだ社会で「市民権」すらもっておらず、大学では科学の専門教育は全く行われていなかった。また、科学は職人技術とはほとんど融合していなかった。科学は哲学や宗教と区別できない営みであったし、そもそも宇宙の理解や自然の探求は総じて神の計画を理解するという信仰上の動機から行われていた。
 
 現代の科学は、社会的に大きな意味をもつ営為になっている。科学はそれ自体、社会的に定着した仕組みとして制度化し、また職業としても確立されている。大学は職業科学者を量産し、科学研究を行う場や環境も整えられ、政府は国策の柱として科学政策を打ち立てている。哲学や宗教や文化的価値から遊離した知的活動である現代の科学は、その内部において様々な分野に分化し高度に専門化している。そんな現代科学の使命は、神の計画を知ることや教養、文化活動といったものよりも、ひとえに社会や国家の実益に資することにあるとみなされる傾向が強い。科学と産業技術や軍事技術との結びつきは深く、それらの分野での諸成果を通して社会に大きなインパクトを与え、現代文明の中枢で機能している。
 
 今日の科学の社会的相貌は、ヨーロッパの4世紀の歴史における科学と人間と社会とのダイナミックな相互作用の中から形作られてきたものであるともいえる。現代において科学は世俗化され、いわばマニュアル化されて国際的にも伝達可能な様相を帯びている。19世紀以降、急激にヨーロッパの科学文明が世界を席巻するようになったのも、社会的基盤と意義をそなえた営為に発展していたことによるところが大きい。日本が19世紀後半に西洋近代科学を導入した際、それを支える諸制度の移植の方が、科学の理論や思想といった中身の理解・摂取よりもむしろ先行していたのも象徴的である。
 
 本書は、こうしたヨーロッパ近代科学の社会化の歴史、特に中世後期から20世紀前半までの動きに焦点を当てられている。近代科学はいかにして世俗化・大衆化・制度化・職業化・専門文化・技術化・産業化・ナショナル化・軍事化・巨大化の道をたどったか。またどのような影響を社会に及ぼし、現代科学文明がもつ社会的基盤がどのように形成されたのかを見ていく。
 
 今日あるような科学の社会的相貌は、決して予定調和的にできあがったものではない。そこに至るまでの道筋には、国や時代によって違う文脈が存在した。共通して言えることは、科学の実践者自身による、科学の営みを社会的に認知させるための様々な主張や訴えが果たしてきた役割は、科学の社会化・制度化において大きいということである。そこに存在するさまざまな科学の理念やイデオロギーは、その時代の社会や文化の状況が刻印されたものと見なされ、現実につくられる教育や研究の制度の性格を規定してきた。制度というものは、いったん確立されると、個々の成員の意志から独立して集団の態度や行動を規定し固定化する特徴を持つ。それゆえ、制度が以後の科学の性格や方向に与える影響は大きい。さまざまなプロセスを経ながらも、ヨーロッパ科学の目的と性格は大局的には共通の方向に向かっていた。その背景には経済競争や戦争があり、それらが科学の社会的相貌の画一化を促したことは疑いの余地がない。科学の制度化の変遷の様相を理解することにより、われわれの生きる現代の特異性と歴史とのつながりが浮かび上がってくる。
 
 20世紀の科学技術には、われわれの社会生活を豊かにする光の面と、われわれ人類を脅威にさらす影の面の両方をもっている。近年、特にこうした影の側面が深刻化するにつれて、現代科学技術は危殆に瀕しているという感が強まっている。こうした問題点の所在を探り、これからの科学技術のあり方を考える上でも、歴史は何がしかの手掛かりを与えてくれる。