E.J.ホームヤード『錬金術の歴史』第1章 序論

 

錬金術の歴史―近代化学の起源 (科学史ライブラリー)

錬金術の歴史―近代化学の起源 (科学史ライブラリー)

 

 【第1章 序論】

 錬金術はキリスト誕生以前にすでに行われていた。その地理的範囲は、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツといった西洋にとどまらず、モッロコや中国など、東洋にも及んだ。錬金術の最盛期は、およそ紀元前800年頃から17世紀半ばまでである。*1それに従事した者は、上は王など一国のトップ、下は下級僧侶や教会書記、職人にまで広がっていた。また、ロジャー・ベイコン、トマス・アクィナス、トマス・ブラウン、ジン・イーブリン、アイザック・ニュートンといった著名人さえ錬金術に深い関心を持ち、ウィリアム・シェイクスピアジェフリー・チョーサーの作品の中では錬金術が取り上げられた箇所がある。

 長い伝統をもち、様々な人々の興味をひきつけてきた錬金術の本性には、二つの面がある。ひとつは表向きの面で、非金属を貴金属に変える力をもつとされる「賢者の石」をつくることである。もう一つは隠された面で、この石づくりや石の持つ力を、神の恩寵や信仰と結びつけて考えられるようになったことから、金属変成を罪深い人間が完全な人間になる過程のシンボルとして扱った。この二つの面は、分けがたく混ざり合っている。石づくりのことについて述べていても、実際の物質に対しては関心がない場合もあり、その意図は神学的、哲学的、神秘的な信条や熱望を述べることであった。本書では、主に表向きの面である実際的な石づくりについて扱われているが、隠された面である秘教的な錬金術も念頭におかなければ、石づくりの正しい理解はできない。

 錬金術の二面性の他に考慮しなければならないのは、錬金術師の仕事の成功は彼らの生命に危険がおよぶことを意味する点である。成功したのではと疑われることさえも、十分に危険なことであった。また、たとえ王室の後ろ盾と許可を得て仕事をしていても、その危険性に変わりはなかった。したがって錬金術師は、身の安全のために、また、仕事によって得られた貴重な知識をほかにもらさらないために、自分の仕事について記述する際、寓意や比喩、ほのめかしや類比に満ちた言葉使いを用いた。そのため、必ずしも書かれているままを意味しているとは限らない。

 錬金術師が、その探求によって多大な危険が及ぶと知りながらも追い求めた「賢者の石」について、17世紀に匿名の著者によって書かれた著書『(水性の)賢者の石』に詳しく見ることができる。すなわち賢者の石とは、大昔の、秘密の、理解を超えた、神聖な、祝福された、三位一体の万能な石である。また、その石の材料は鉱物である。それを粉末にし、さらに三つの元素に分解し、それら元素を再結合させることで、蝋のような溶融性のある固い石になる。しかし、このような概略で示されるほど、実際の石の製造は簡単ではない。まず、原料から不純なものを全て取り除かなければならない。その操作に用いられる「太陽の水」として知られる水性の液体は、肉体と霊魂と精霊のエキスを蒸留したものに、今日連想されるであろうものとは別の固有の塩を加えて凝縮させる必要がある。また、石づくりの最中は、温度と色の変化や正しい過程を踏んでいるかに細心の注意を払い続ける必要があり、何かあれば即座に対処することができなければ、成功することはない。著者は、このようにして調製された賢者の石によって、あらゆる現世的な幸福、肉体的な健康、物質的な富がもたらされることを読者に想起させることで、この『賢者の石』の書を閉じている。すなわち、賢者の石のおかげでノアは箱舟をつくり、モーゼは金製の器と幕屋をつくり、ソロモンは聖殿と多くの装飾品をつくり、くわえて自身に長寿と無限の富をもたらしたのである。

 錬金術を意味する英語のアルケミー(alchemy)という語は、アラビア語で技芸を意味するアルキミア(alkimia)に由来する。「アル(al)」は定冠詞だが、キミア(kimia)の語源については諸説ある。一説によると、古代にエジプトを指す呼び名であったケム(kmtまたはchem)が由来であるとされている。錬金術は、初期の頃はエジプトで盛んに行われていたし、この説に沿うとアルケミー(alchemy)は「エジプト人の技芸」という意味になることからも一貫性があるといえる。しかし、古代の文献ではケムと錬金術の結びつきが全くないため、この説は否定される。キミア(kimia)の語源について有力な説は、ギリシア語で金属の溶融、鋳造を意味するキマ(chyma)に由来する説である。実際に錬金術は、多くの場合これらの操作に関わっていることからも、いっそう確からしい。それらの真実がどうであれ、ここまで言及してきたアルケミー(alchemy)や近代的な形であるケミストリー(chemistry)がアラビア語由来であることは確かであり、そのことは中世初期においてこの技芸の主要な担い手がイスラム教徒であったことを暗示している。

 錬金術語源はアラビアにあったが、その実際の営みの起源は人間の生活様式の変革からみてとれる。共同体をつくり、余剰収穫物ができたことで専門化した職人を雇うことができるようになり、おそくとも紀元前3000年までには様々な工芸が確立した。錬金術が明確な形で現れたのは紀元前数世紀だが*2
、その土台となる技術的な知識は錬金術登場以前から着実に重ねられており、その古代の職人たちの仕事は決して凌駕されることがないほど偉大であった。彼ら職人たちの仕事には、宗教的、魔術的な行為が伴っている。すなわち、金属、鉱物、植物、惑星、月と太陽、神々との間には関連があるとされ、特に天と地とを照応させる占星術体系は重要であると考えられた。錬金術師たちは、彼らから受け継いだ仕事とともに占星術の重要性もまた受け入れていた。占星術では、マクロコスモスすなわち宇宙と、ミクロコスモスすなわち人間との調和が強調され、宇宙での出来事は人間へ影響を与えるとされた。それは人間自体に関連されるだけでなく、薬や合金の調整を行うための好条件を見つけるためにも使われた。占星術において天宮図をつくる計算のために数秘術が現れ、ピュタゴラスが発展させた*3錬金術書の中でしばしば数秘術が見られることからも、占星術錬金術の関連がみてとれる。また、紀元前4世紀頃のギリシア人は、上記で述べてきた古代メソポタミアにおいてと同様に、占星術が宇宙でのすべてのできごとと関連があると考えていた。宇宙でおこるできごとの探求は、占星術以外でも進められて発展した。プラトンアリストテレスは、それらの思想的探求を体系としてまとめ、後の西洋文明に根本的な影響を与えることとなる。

 アリストテレスの物質の構造についての見解は、錬金術の表向きの面、すなわち賢者の石の理論的背景の大部分をつくっている。すなわち、あらゆる物質は、火・気・ 木・土の「四元素」から構成されているとした。さらに各元素は、各々対応する湿・乾・熱・冷の四つの質を通して、他のどの元素にも変成が可能であるとされた。したがって、どんな物質もそれを正しく処理し、その元素比を他の物質の元素比に合わせるように変えることで、どんな物質にも変成が可能となるのである。ここに金属変成理論の始点があり、錬金術師たちが途方もない仕事を行うそもそもの哲学的な裏付けがある。また、錬金術師たちの根本的な考えである「一は全、全は一」という宇宙観もまた、アリストテレス宇宙論に基づいている。くわえてアリストテレスは、金属や鉱物の生成について見解を述べており、それが錬金術師の思考を方向づける助けとなった。すなわち、アリストテレスは、互いに関係し合い、物質的とも精霊的ともつかない二つの「蒸発物」があると考えた。一方は霧状で金属に対応し、もう一方は煙状で鉱物に対応している。どちらの蒸発物もすべての物質と同じく四元素から成っているため、変成は可能であると考えられた。
 
 錬金術師の根本的な考えである、「一は全、全は一」であり、万有の精霊が浸透する「世界統一理論」には、宇宙におけるすべての物体が生命をもつという仮説が含まれている。それによると、金属も鉱物も成長し、性別が割り当てられるとされた。すなわち、金の種子に養分を与えると金塊に成長するのである。また、煙状蒸発物は男性で霧状蒸発物は女性であり、水銀は金属の胚が着床する子宮であった。このような理論とより合理的なアリストテレスの見解は分けられていたのではなく、むしろ混ざり合って体系をなしていたということも、錬金術の営みを理解する上で欠かすことのできない重要な点である。
 

*1: 今日の研究では、紀元後二世紀より前には遡らないだろうといわれている。

*2:紀元前というのは、今日の見地からは間違い。

*3:今日の知見から鑑みれば、注意が必要。