橋本毅彦著『〈科学の発想〉をたずねて 自然哲学から現代科学まで』第2章

 

〈科学の発想〉をたずねて 自然哲学から現代科学まで (放送大学叢書 12)

〈科学の発想〉をたずねて 自然哲学から現代科学まで (放送大学叢書 12)

 

 

【第2章 ギリシアにおける自然学の誕生】

 古代ギリシアの人々は、自然現象について神話的説明をしていた。ホメロス叙事詩においては、万物はオケアノスとラテュスという神がつくったとされていた。これに対して、論理的考察によって自然界にその要因を求めた人物が、タレスである。彼の後継者の一人であるアナクシマンドロスは、動物の祖先は究極的には物質であると説いた。ただし、人間は一人で生きることができるようになるまで時間がかかるため、物質からでなく動物から生まれたのだとした。この物質、すなわち万物の生命の源について、タレスは水であるとした。また、アナクシメネスは空気であるとし、ヘラクレイトスは日であり万物は流転すると説いた。

 ピタゴラスは万物の原理は数であるとし、天文や自然現象に比例関係を見いだそうとした。彼は数の原理が成り立つ例として、音律をあげる。弦の長さを比例関係を活用して調整することで、音階の高さを定めた。この音程の高さをきめる規則は、「ピタゴラスの音律」とよばれた。またピタゴラスの弟子によって、直角三角形の斜辺の長さの比、1:√2という無理数または不可共約的比例関係とよばれる数の存在が発見された。この不可共約的比例関係を表現するためには、自然数よりも線分や幾何図形の方が相応しいと考えられるようになっていた。そのピタゴラス以降の数学的知識の集大成が、ユークリッドの『原論』である。それは、少数の公理から定理が演繹的に導かれる体系であった。

 ギリシア自然哲学の発展に大きく寄与した人物に、パルメニデスがいる。彼は変化は不可能であると主張し、変化前後に同一性を認めず、生成・消滅・変化・運動を否定した。またパルメニデスは、彼の哲学の根本命題として、「パルメニデスの難問」とよばれる次のような命題を提示した。すなわち、「ものは〈ある〉か〈あらぬ〉かのどちらかである。〈ある〉ものはどこまでもあり、〈あらぬ〉ものは知ることも語ることもできない。」というものであった。この主張は同時代にとどまらずその後の哲学者たちへ深刻な影響を及ぼした。エンペドクレスはこの主張を受けて、変化しない四元素(火・空気・水・土)の組み合わせによって自然界の多様な存在が生み出されると主張した。パルメニデスの難問に対する回答を提示したのは、原子論者らであった。デモクリトスは、変化せず分割されない原子(アトム)の組み合わせや位置によって自然界の多様な存在が生み出されるとした。しかしながら、原子が移動し配置を変えるには、隙間が必要である。その隙間は、原子も物質も存在しない真空であるはずであった。このように〈ある〉が原子で〈あらぬ〉が真空であるとするならば、知ることも語ることもできないはずの〈あらぬ〉について矛盾が生じることとなる。この矛盾はその後のギリシア哲学者たちを悩ませた。

 パルメニデスの難問に対して、ギリシアを代表する哲学者であるソクラテスは、彼の弟子プラトンの書いた『パルメニデス』に登場し、次のように語っている。すなわち、ソクラテスプラトンによれば、我々の目に映る世界は幻影であり、その背後の「イデア」という不変で実在の世界があるという考えを示した。これを模範とした回答が、プラトンの弟子であるアリストテレスによって提示された。彼によれば、変化とは「可能態」から「現実態」へ移行することであった。可能態とは、未だ目に見える形では存在していないが、いつかその能力を発揮し目の前に現れる力が隠れて備わっているものである。アリストテレスは、ミレトス派の自然哲学者以来のすべての知識・学問を体系的に整理し秩序づけた。すなわち、神学や数学、自然学などの理論的知識と、政治学倫理学などの実践的知識に分けたのである。また、自然学において変化を研究し、幾何学において不変な存在を対象とし自然界を対象外とした。よって今日における数学の物理学への応用は、アリストテレスの哲学体系の中では認められないことだったのである。自然学のなかで説かれた「変化」は量・質・位置の三種類があった。位置は運動に相当し、その運動は自然運動と強制運動の二種類あるとした。自然運動とは自分の本性に従ってひとりでにおこるもので、物体の落下がそれに該当した。アリストテレスによれば、物体の落下は重力の仕業ではないのである。強制運動は外部の力により自分の本性に逆らっておこるものとされた。

 またアリストテレスは、デモクリトスにならって、すべての地上の物質は四元素によって構成されると考えた。四元素における火と空気は自然運動において上昇の本性をもち、水と土は地球の中心へ下がる本性をもつとした。生物には四元素に加えて霊魂が付与されると考えた。植物には司る植物的霊魂が、動物はそれにくわえて知覚と運動を司る動物的霊魂が、人間にはそれらにくわえて精神作用をつかさどる理性的霊魂が備えられているとした。ただし、天界の物体は第五元素またはエーテルとよばれる別の元素でつくられていると考えた。天を構成するのは球状の殻である「天球」だとし、その天球は全部で55あり、エーテル(第五元素)で構成されているとした。その本性は円環的運動であり、神による最初の一撃後は55の天球がそれぞれ回転運動をし続けていると考えた。アリストテレス宇宙論において宇宙の中心は地球であり、その内側から外側にかけて、月を運ぶ天球、太陽や惑星を運ぶ天球、無数の構成が埋め込まれた天球すなわち最外天球があるとされた。

 アリストテレスギリシア哲学のひとつの頂点を築いた。古代ギリシアの人々は、紀元前3世紀にはすでにこのような自然や宇宙の構造に関する合理的認識をもっていたのである。