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古川安『科学の社会史ールネサンスから20世紀まで』第2章

 

科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで

科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで

 

 【古川安著『科学の社会史ールネサンスから20世紀まで』第二章キリスト教文化における近代科学(南窓社、2001年4月)p33−p48

 

 ヨーロッパが様々な国や民族から成り立っていながら文化的統一性を維持していたのは、キリスト教という共通の宗教を基礎としていたためである。このキリスト教文化が持つ自然観は初期近代の科学と相互に関連していた。
 
 イギリスの思想家フランシス・ベイコンの科学観は、同時代にとどまらず後世の人々に対しても様々な意味で絶大な影響を与えた。ベイコンの著書である『ノヴム・オルガヌム』は、新しい科学の方法と役割を体系化した彼の業績を象徴している。そこには、「技術としての科学」「技術のための科学」というスローガンが込められていた。そのスローガンには、科学とはそれまでのスコラ学のように学問に終始するものではなく、自然を支配し変革して人間生活の改善を目指すための営みであるという意味がこめられている。それゆえベイコンにとって、アリストテレスの哲学よりも職人たちの技術の方が、人間が自然を利用し搾取すること、すなわち自然を支配することに貢献してきたのだ。
 
 人間による自然のコントロールという姿勢をもつベイコンは、科学のあるべき方法として、一般原理から個々の現象を説明する演繹法に代わって、実験や観察による膨大なデータから公理を導き出す帰納法を強調した。また、このベイコンの思想に依拠したベイコン主義は、実験や観察のみを科学の出発点とすることから今日批判されているが、ベイコン本人は漠然と無闇に実験をするのではなく、組織化して方向付ける必要性を強調していた。このようなベイコンの実験的手法は、ボイルの新実験哲学からもみられるように、17世紀以降の多くの自然探求者の科学活動の指針となった。そしてそれが洗練され精緻化し諸領域に適用され実を結んだのは、18世紀以降のことであった。
 
 ベイコンの思想に見られる自然に対する姿勢には特徴がある。それは、主体と客体の分離、自然支配、自然改造の概念である。しかしこれらは、ベイコン独自のものではなく、むしろこの時代の自然探求者の特徴を定式化したものであるとも言える。また、ベイコンが新しい科学の目的と方法を記述するのに用いた表現スタイルやレトリックは、本来彼の専門であった法律のそれと重なっていた。
 
 イタリアの歴史家ロッシの研究は、歴史家がそれまで無視してきたルネサンスの魔術とベイコンとの深い関わりを明らかにしている。ルネサンスの魔術思想は、新プラトン主義やヘルメス主義やカバラ主義と混合して発展した思想で、自然を神から与えらえた隠れた力をもつ存在とみなした。ロッシによればベイコンは、ルネサンス魔術思想からつよい感化を受け、そこから自然の力を知ることにより世界を支配する術を獲得しようとする観念を汲み取り、それをキリスト教のもつ神・人間・自然の関係の思想の基盤に乗せたという。ベイコンは後に魔術の批判者に転じたが、その要素をキリスト教的世界観に組み入れて新しい科学観・自然観に転換したといえる。
 
 またベイコンが主客の分離が可能だと考えたのは、キリスト教の教義に基づいたためであった。そのため、人間は特別な存在であり、人間の下に自然があって、人間は自然を知ることによって支配できると考え、よって科学活動は信仰活動であると捉えていた。当時多くの自然哲学者は、このようなキリスト教的自然観を共有していた。その中でのベイコンの立場は、自然探求によって神の偉大な力を知ることはできるが、被造物の考察自体からは神の本質や属性を知ることはできないというものであった。またベイコンは、自然解釈が過度に働くことによって、信仰の心理が侵食されるおそれがあることを危惧した。いかなる自然の知識も、聖書の前では無力であると考えたためである。後のベイコン主義者と違うのは、ベイコン本人は信仰と科学を分離していたということである。結果的にキリスト教的自然観を反映したベイコンの科学の方法と理念は、逆説的に科学が神離れしやすい要素を内包することとなった。
 
 科学社会学の祖であるアメリカのマートンは、著書『17世紀の英国における科学・技術・社会(1938年)』において、キリスト教的自然観の普及と科学の興隆を宗教革命、とりわけイギリスにおけるピューリタン革命(1642年から49年)とを結びつけて論じた。ピューリタンは、その信仰や生活態度が功利主義・経験主義・理性主義といったエートス(価値観、倫理観、信念の総称)をもっていた。ピューリタンは、絶え間ない努力によって現実の社会や自然を作り変え、悪や欲望を征服しようと目論んでいた。つまり、ピューリタンにとって自然を研究することは、神の知恵と力と善を理解するための有効な手段であったのだ。そのために、実験や観察などの理性を用いる作業が重視された。これは、ベイコンの科学観すなわちこの時代の新しい科学観と一致した。よって、ピューリタンの台頭により科学活動が活発化することとなり、17世紀科学興隆の大きな要因となった。これらの事実を示すためにマートンは、17世紀当時の自然探求者の中のピューリタンの割合を統計データで示した。この手法は、科学史や知識社会学の研究において多くの人物の履歴・伝記を調査し、その中になんらかの共通項を探し出す手法すなわちプロソグラフィーの先駆となった。
 
  その後、以上の「マートン・テーゼ」をめぐって学者間で賛否両論が巻き起こった。ピューリタンエートスは当時の科学のエートスから影響を受け、またはその逆もあったという、どちらの面も持つ切り離せないものであったためである。すなわち、この時期の信仰と科学活動の動機は深く関わりあっていたのだ。マートン・テーゼが確かに明らかにしたことは、プロテスタンティズムの改革運動の流れの中で、ベイコン的科学観が社会に受容されるようになった事実である。ひとつ留意しなければならないのは、マートンが論じたのは17世紀イギリスに限定した話だったということである。観察・経験を重んじた科学は他のヨーロッパの国々にもみられ、また、プロテスタント系科学者とカトリック系科学者の間に思想的な相互影響があったことも見受けられる。そのため、マートンのいう「イギリス的エートス」はピューリタンプロテスタントだけの物ではなく、むしろ「クリスチャン・エートス」としてキリスト教全般のエートスが科学活動を促していたとして捉えるべきものであった。
 
 キリスト教の教義に根差した科学活動が展開される17世紀当時の自然探求者の神と自然に対する基本的な考えを、イギリスのティムが1612年に書いたある一節が端的に物語っている。そこではすなわち、「創造主は二つの重要な書物を我々に差し出した。自然という書物と、聖書である。」ということが語られている。このようなキリスト教信仰の上での動機から、神の示す第二の書物すなわち自然の探求に駆られて科学活動が行われた。多くの自然探求者による科学活動の思索の根底には、神の概念があったのである。これは我々現代人が持っている科学観とは異なる。例えば、ケプラーガリレオにとって、神は偉大なる数学者であった。よって、自然の背後には数学があり自然現象は数学によって解明できると考えた。現代では疑念すら持たれなくなったこの視座は、もとはルネサンスで復活したプラトン思想に1つ着想のルーツをもっており、これは近代ヨーロッパの文脈においては信仰と調和して発展することとなった。
 
 17世紀の自然観を代表する機械論哲学は、科学革命期に台頭した思潮で、ボイルによって命名された。機械論哲学は、神の世界創造、主体と客体の分離、人間の自然支配、これらの思想と整合する世界観であり、世界全体を神が創造した巨大な機械と捉えた。よって、既存の機械やそのモデルとの類比によって、機械と同様の原理をもって自然現象を解明しようとしたのである。この時代の自然探求者たちはこの機械論的アナロジーに基づく世界観を供給しており、また、数学的世界観とこの機械論的世界観の両方を併せ持っていたものも多い。機械論哲学の代表者であるボイルは、この世界を17世紀当時最も精巧の機械として知られていたストラスプールの大時計にたとえて、時計の製作者と世界の創造主である神をつなげてとらえ、称賛した。また近代合理主義の祖であるフランスのデカルトは、機械論的なアナロジーを聖域とされていた人体にも適用した。デカルトによれば、人間は神が創造した最も精巧な機械であった。
 
 機械論には、生物体を生命を持たない不活性な物体からなる機械の集合体とみなして、その物体の機械的・力学的運動からのみ体内の諸作用を説明しようとする姿勢があった。こうした視座は、全現象を究極的粒子の運動や衝突からのみ説明する古代原子論の影響を受けている。無神論的彩色の強いこのギリシア原子論も、この時代にはガッサンディらによってキリスト教化されていた。機械論においてアトムという語の使用は避けられ、あえて「粒子哲学」という異名がつけられた。ボイルによって広められたこの西欧版原子論は、機械論哲学と一体化していた。機械論哲学はまた、自然魔術に対する対抗文化として登場した側面もある。当時の知識人にとって機械論哲学の魅力のひとつは、その論理的明快性にあった。身近な生活の中にある機械と関連付けることで、思い描きやすかったのである。その意味で、それまで中世の自然学を支配してきたアリストテレス的な抽象概念の世界とは極めて対照的であった。また機械論哲学は、神を世界の製作者として讃えることができたことも、キリスト教を信仰していた当時の知識人にとって魅力的であったといえる。キリスト教の霊魂不滅の教義に従ったデカルトの機械論的アナロジーはそれゆえに感覚どまりであり、精神作用にまでは及ばなかった。この意味でデカルトの人間機械論は、正確に言えば「身体機械論」であり、そこでは主体たる精神と客体たる機械的自然の分離が維持されている。こうして機械論は西欧近代科学の基本的な認識論の一つとして強化されいった。そしてその流れは20世紀の人工知能研究へもつながっていくこととなる。
 
 以上のように、主客の分離、人間の自然支配、実験、法則性の発見、数学的自然学、機械的世界像等の、今日の科学が諸要素はヨーロッパ固有のキリスト教的自然観と深い関わりを持っていた。そしてこのような自然観は西欧特有のものであった。それは、錬金術の思想からみる西洋と東洋の自然観の違いにおいても明らかである。錬金術の目的は、西方と東洋では大きいく違った。初期ヨーロッパ系錬金術の目的は、卑金属を貴金属の金に変えて富財をなすことであった。対して中国の錬金術では、不老長寿をもたらす金、すなわち丹とよばれた薬の探求がなされていた。また東洋においては、人間が自然と融合することに大きな価値が置かれ、人間と自然を故意に離反・対立させる西欧的枠組みは希薄であった。このように、今日普及している科学は、西欧固有の文化的土壌で育まれた特異な科学であったことを留意すべきである。