ローレンス・M・プリンチーペ著 ヒロ・ヒライ訳『錬金術の秘密』第2章

 

錬金術の秘密: 再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」 (bibliotheca hermetica叢書)

錬金術の秘密: 再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」 (bibliotheca hermetica叢書)

 

 【第二章 成長ーアラビアの「アル・キミア」】

 
1・750年から1400年頃、錬金術はアラビア世界で新しい理論や概念、実践的な技術、物質の知識などのあらゆる点で大きく発展する。アラビアの学問は、科学全体の歴史において重要であるにもかかわらず、現存する知識に限りがあった。そのため、化学者でありギリシア錬金術文書を出版したマルセラン・ベルテロをはじめとする人々によって、アラビア錬金術の原典が再発見され、研究された。それ以降、多くの謎が解明されたと言えるが、依然多くの課題が残っている。しかし、アラビア語に精通した科学史家は少なく、その中で錬金術に関心を持つ者の数となるとさらに少ない。一握りのテクストしか解明されていないなか、政治的・経済的事情も相まって、研究がなかなか進んでいないのが現状だ。
 
2・640年にエジプトがイスラム帝国に併合されると、イスラム世界は古代ギリシアの思想や文化、学問に触れることとなる。762年に首都がバグダートに移ると、そこは大翻訳運動の中心地となった。アリストテレスをはじめとするギリシアの書物がアラビア語へ翻訳される中、ケメイアについての著作も翻訳されていった。その翻訳運動によってギリシア錬金術がアラビア世界に伝播したかどうかという点については、未だに解明されていない。ゾシモスやアリストテレスなど、著名なギリシア人の名前の元に多くの著作が執筆されていたことは確実だ。しかし、これらの著作が最初からアラビア語で執筆されていたのか、消失したギリシア語による偽作の翻訳なのか、あるいはそれらが混合したものなのかは判断できない。
 
3・初期のアラビア世界の偽作群は、錬金術の歴史の中で最も尊ばれるテクスト『エメラルド版』を生みだす。ギリシアとエジプトの神話と英雄のイメージが複雑に重層化された神、ヘルメスに帰される書物群は、「ヘルメス文献」と呼ばれている。それは新プラトン主義的色彩を持つ哲学的で神学的な文書が核となっており、ギリシア・エジプト世界を起源とする多様なテクストの集合体となっている。その集合体には紀元前1世紀に書かれたものも含まれているが、主に紀元後1世紀から4世紀に成立したと言える。そこには占星術や技術、魔術のテクストが含まれているが、錬金術と明確に関連したものではない。しかしすでにゾシモスはヘルメスを権威としてあげており、10世紀にはイスラム世界でヘルメスが錬金術創始者であると考えられていた。その後ヘルメスの名声と威信は増大し続け、17世紀のヨーロッパではニュートンを含む多くの人々によって『エメラルド版』の注解が無数に執筆された。しかし、『エメラルド版』の起源とその意味については、謎につつまれたままである。
 
4・アラビア世界において、ギリシア・エジプト世界におけるゾシモスと同じくらい重要な役割をはたす人物が、ジャービル・イブン・ハイヤーンである。この人物は幾人かをさすとも考えられているし、実在しないとも考えられており、このことに関する論争は現在も続いている。このような外見と真実との乖離に、錬金術史の研究者たちはしばしば直面する。20世紀初頭、科学史家ポール・クラウスによって、ジャービルに帰されている書物が複数の著作家によるものであるという決定的な研究が発表された。したがって、本書ではジャービルは複数の著作家の集団をさす。
 
5・ジャービルの著作には、理論的な枠組みとともに、作業の工程や材料、器具についての実践的な知見などが記されている。中でも、「水銀・硫黄」の理論は、最初に提唱されてからほぼ1000年後である18世紀においても、ほとんどの化学者に受容された。これはバリーヌースの理論を典拠としている。バリーヌースは、全ての金属はアリストテレスが唱えた湿った蒸散気に似た「水銀」と煙状の蒸散気に似た「硫黄」の二原質からなっていると考えた。これらの二原質が地下で凝集されると、異なる割合と純度で結びついて様々な金属を形成する。正確な比率で完璧に結合すると金が生まれ、不純物が含んでいたり間違った比率で結合すると卑金属ができる。そのことから、卑金属の中の水銀と硫黄を純化し、比率を調整することで、金が生じると考えられた。ここで強調されるべき点は二つある。一つは、18世紀まで金属は7種類しか知られておらず、金と銀は貴金属とされ、銅や鉄、スズ、鉛、水銀は卑金属と見なされていた点。もう一つは、金属の原質としての水銀と硫黄は、これらの名前で呼ばれている化学物質と同一ではなく、似た特徴を持つ二種類の蒸散気に割り当てられた名前であるという点である。
 
6・構成要素の比率を変化させ金属編成をするこの操作を実践する際、ジャービル古代ギリシアの自然哲学由来の二つの概念を基礎においた。一つは、アリストテレスの四性質と四元素である。全ての事物の性質を温・冷・湿・乾の四性質とし、これらのうちどれか二つが組み合わさることで火・水・空気・土という四元素が生じるとと考えた。アリストテレスはこれらの概念を抽象的な原理とするが、ジャービルはこれらの元素を具体的な物質とみなす。ジャービルは物質を蒸留し分解することで、純粋で単一の性質を持つ4つの物質に分離できると考えた。ジャービルの金属編成の理論の基礎となるもう一つの重要な概念が、「エリクシル」と呼ばれる変成剤である。このエリクシルと単一に分離された物質とを適切に混ぜ合わせることで、卑金属の持つ比率を金の持つ比率に補正し、金属変成ができるとした。ジャービルのこの論は、すべての物質にふくまれている四性質の結合によって金が生まれるという点において、斬新かつ独創的といえる。ギリシア・エジプト世界の錬金術師たちは、変成剤を作るための物質を発見することに力を尽くしており、その物質は鉱物界にあると考えていた。ジャービルの理論では、四性質が純粋であるほどエリクシルは強力となる。したがって、くり返し蒸留することで、高純度な四性質の結合から「至高なるエリクシル」が獲得できる。それは賢者の石そのものであり、どんな金属でもその比率を調整して卑金属を金へと治療することができる。では、どのように金属に含まれた四性質の比率を確認するのか。ジャービルは、ピュタゴラス派の数秘術を採用した。28マスの縦と横に四性質と物質の比率を示す七等級を配置し、マスの中をアラビア語のアルファベットでうめ、物質名が該当する四性質と等級をマスから割り出すことで計算した。ジャービルのこの方法を、現代の認識で科学的なものではなく恣意的なものとみなすべきではない。前近代の人々にとって、数字は単なる数量を超越した意味と重要性を持っており、文字もまた人間の交流以上のものを表現していた。ピュタゴラス派のモットーである「世界は数字である」という考えが現在でも影響力があり、様々な定理が数字で表されることから、ジャービルの行った数学的に自然の事物を分類して定量化し可視化することは、現代人の手法と非常に似ているといえる。このジャービルの体系は、後代の錬金術師たちに継承されなかった。この体系が過度に難しく、アラビア語圏外に適応できなかったためと推測される。しかし、「水銀・硫黄」の理論は幅広く受容された。
 
7・ジャービルの文書の特徴は、後代の錬金術書に大きな影響を与えた。その一つとして、「真理の分散」がある。知識を一箇所にまとめるのではなく、複数の場所に断片的に記すことで、秘密を保護する手法だ。この手法が広範に受容されたことで、17世紀にボイルをはじめとする錬金術書の解読を試みる者は、困惑と苛立ちを覚えることとなった。
 
8・900年ごろに出現した古典的錬金術書『賢者たちの討論会』は、匿名のアラビア人によって書かれた書物である。その著作は、ソクラテス以前のギリシア哲学者9名が議論する形をとっている。議論は大筋で、イスラム教の神が世界の創造主であること、世界が唯一の一元論的本質を共有すること、すべての被造物が四元素からなることを示そうとしたものである。後代の錬金術師たちは、この著作の物質についての議論を高く評価した。その物質が錬金術の中心的主題であることがその理由である。イスラム世界で最も有名な医学者で錬金術師であるアル・ラージーは、1600年代までヨーロッパで権威として君臨し続けた。アル・ラージーは、ジャービルの「水銀・硫黄」の理論を受容した。彼は著作『秘中の秘の書』において、エリクシルによって石類や水晶、ガラスまでを宝石へ変化させることを錬金術の新たな目標としてくわえた。一方でこの著作の大部分は、金属変成に触れていない。錬金術を造金だけに狭めてしまうのは17世紀末以降にみられるもので、それ以前は現代人が化学と考えるすべての操作と概念をさし示すものが錬金術であった。したがって、アル・ラージーの試みは造金に関係していないが、錬金術の中心的部分を占めているといえる。
 
9・アラビア世界で錬金術が拡大すると同時に、それに対する批判や懐疑、否定といった反応が生まれる。特に、著作『医学典範』がヨーロッパにて17世紀まで基本的な権威となり続けたイブン・シーナーの批判は、大きな影響を与えた。ラテン語化された名前「アヴィセンナ」でも知られる彼は、特に金属変成を批判し、錬金術によって生成された金は金のように見え、一見金の特質を持ち、幾人かに金だと信じさせることができるが、それは本物の金ではないと主張した。なぜなら、人間の能力は自然の力よりも弱いものであり、その無知な人間が作成した事物はいかなるものであっても神が想像した自然の事物と同一ではないと考えたためである。その後、錬金術への批判は消えることなく何世紀にもわたって肯定派と否定派が論争をくりひろげることとなった。また、錬金術師が金に似たものを作成し人々を騙すという彼の見解は、意図的な詐欺と金属変成を結びつける別の種類の批判を生んだ。ペテンをする錬金術師の逸話が残っているが、実際にどこまで真実でどこまで架空かは判別できない。アル・ラージーやイブン・シーナーの後も、錬金術はアラビア世界で繁栄する。歴史家のホームヤードは、1950年代にモロッコの町、フェスの郊外の地下工房が操業しているのを目撃した。そして現在でも、ヨーロッパや北アフリカ錬金術の営みは存在し続けており、エジプトやイランでイスラム教徒の錬金術師に出会ったと歴史家の間で情報が交わされている。