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E.J.ホームヤード『錬金術の歴史』第2章 ギリシアの錬金術師

読書メモ 科学史 錬金術

 

錬金術の歴史―近代化学の起源 (科学史ライブラリー)

錬金術の歴史―近代化学の起源 (科学史ライブラリー)

 

 

【第2章 ギリシアの錬金術師】
 錬金術の発展は、主にヘレニズム時代のエジプト、特にアレクサンドリアナイル川のデルタ地帯等の諸都市で始まった。アレクサンドリアとは、紀元前322年に設立された古代世界において最大の重要な都市をさす。そこは、学者たちがギリシア世界のいたるところから海を渡って引き寄せられ、大学の一種であるムセイオンが彼らを収容するためにつくられた。そこは、文法、文芸評論、文献学、天文学占星術、医学すべての分野に学識豊かな師と熱心な弟子がおり、活発に学問が営われた。すなわち、エウクレイデス(ユークリッド)によって数学の学派が開かれ、その弟子のアルキメデスは今日誰もが知る「アルキメデスの原理」を導き出した。他にも、1000以上の星の目録をつくったヒッパルコス、地球の周囲を測定したエラトステネス、円錐の切断について論文をかいたペルゲのアポロニオスがいた。こうした知的な活動は、アレクサンドリアの港での活発な貿易による外国との接触から刺激を受けていた。

 ナイル川のデルタ地帯における諸都市でも、学問は栄えた。その諸都市の一つであるメンデスにおいて、ボーロス・デモクリトスは著書『フィジカ』を書いた。ボーロスは、職人のメモや実際の知見をもとに、金づくり、銀づくり、宝石づくり、紫色づくりについてこの書物に記した。このボーロス・デモクリトスは、今日ギリシアの哲学者で原子論を唱えたとして知られるデモクリトスとは別の人物である。ボーロスをはじめとする初期の錬金術師たちの目標は、卑金属を金に似せる方法を見つけることであった。彼らにとって色こそ最も大切な金属の性質であったため、ギリシアの錬金術文献では主に色の変化やその順序についてが扱われた。このことは、後の錬金術に影響を残した。その思想的背景には、あらゆる物質に含まれる「第一質料(プリマ・マテリア)を得ることで、完全な金をつくることができるという考えがあった。よって、彼らの根本的な目標とは、この第一質料を得ることであった。そのための試みは様々になされたが、特に卑金属の融解または卑金属とその他の物質を加えて融解することによって得られる黒色の固体が、第一質料の候補として有力であった。そしてその固体はその後、色の変化を経て完成するとされた。その過程は錬金術師によって説かれる順序が異なるが、基本的に、黒、白、玉虫色、黄色、紫を経て赤にたどり着くとされた。

 ボーロス以後、こうした初期の錬金術の営みやその理論化は絶えず続けられたが、その記録はほとんど残っていない。記録としては、エジプトのテーベの墓から見つかり、紀元後300年頃ものもと思われる「ライデン・パピルス」および「ストックホルムパピルス」があるが、錬金術が紀元前後の数世紀に行われていた確証としては不十分であるとされる。いっそう確かな証拠としては、紀元後300年頃にエジプトのパノポリス(アフミム)のゾシモスが書いたとされる錬金術についての百科事典があげられる。ゾシモス自身のテクストも含まれているが、その大部分はゾシモス以前のテクストをまとめたものとなっている。ゾシモスの著作から分かることは、ボーロス・デモクリトスが『フィジカ』を書いた後の時代には、錬金術思弁が多種多彩に展開されたことである。その中では、エジプト魔術、ギリシア哲学、グノーシス主義、新プラトン主義、バビロニア占星術キリスト教神学、異教の神話らが登場し、謎めいた暗示的な言葉をもって錬金術文献の解釈を困難かつ不明確にさせている。くわえて錬金術師たちは、漠然とした自説を権威づけるために、自分の名ではなく初期の哲学者や有名人の名を自身の論文に冠した。また、ある典拠の裏付けが必要になると、それらに錬金術解釈を与えて用いた。それらの行いにおいては、聖書の「雅歌」でさえ、隠された言葉で書かれた錬金術書であるとされた。残存しているゾシモスの書は、1887年から88年かけて、ペルトロ (Pierre Eugene Marcellin Berthelot) とルエル (E.C. Rouelle) によってフランス語訳とともに出版された。またゾシモスによると、が生きていた当時エジプトでは化学的技芸は王室と神官の監督のもとに行われ、それについての書物を出版することは非合法であった。ただボーロスだけが、この規則を犯したとされている。その神官たちは、化学的技芸の秘密を神殿やピラミッドの壁に象形文字で刻み、彼ら以外にはわからないようにしていた。しかしながらユダヤ人たちはその秘密を教えられ、後に他の人々に伝えたとされている。錬金術の百科事典を記したゾシモスは、金属や鉱物の化学的操作についてかなり経験をつんでいた証拠を各所に記している。しかし、こうした今日に通る化学的な知識は、錬金術を権威づけるものであるとも捉らえるものである。
 
 ゾシモス以後、ギリシアの錬金術書には、象徴や寓意がいっそう用いられるようになる。ゾシモスに続く有名なギリシアの錬金術師に、哲学者で数学者、天文学者でもあったアレクサンドリアのステファノスがいる。彼が活躍した7世紀は、ビザンツ皇帝ヘラクレイオス一世の治世であった。ヘラクレイオスは、学問の啓蒙的保護者であり錬金術に深い関心をもっていたため、ステファノスを寵愛した。ステファノによる錬金術の主著では、7世紀の錬金術の理論が十分に説明されている。このギリシア語のテクストは、テイラー (Frank Sherwood Taylor) によって研究と英語訳がなされた。テイラーは、ステファノスの著作に錬金術の実際的な操作は疲労という重荷に過ぎないとの言明があることなどから、ステファノスは実際的な実験を行っていたのではなく、錬金術を精神的過程とみなしていたのだと述べている。このことから、ステファノスの頃には錬金術が、修辞的、詩的、宗教的な作品のテーマとなってしまい、金属変成が人間の高貴な霊的状態への変成と再生の象徴として用いられるようになったことが分かる。このような状態は、ステファノスによって強められ、後期ギリシア錬金術の特徴となった。それは、715年頃に書かれたアルケラオスの著作からも分かる。また、テオフラストス、ヒエロテオス、ヘリオドロスの錬金術詩からもみてとれ、それらは全てステファノスやアルケラオスの様式に従っている。後期ギリシア錬金術書の特色を表す言葉として、ある言葉があげられる。その言葉は「蟹文字」として知られる 象形文字でゾシモスのものとされる著作の一つに記されていた、謎めいた符号のようなものである。その意味するところは、「理解するもの、そは祝福されん」というものであった。